社務だより | 延喜式内 飯野山神社

神社が創建されてから1910年以上の歴史を誇る、宮城県内最古の神社が「延喜式内飯野山神社」です。
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    社務だより「伊勢神宮の歴史」・・・・・(6/17)

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       社務だよりにアクセスの皆様、おはよう御座います。
       

       今日は、良い天気のようですが、気温も上がるようですから

      お身体、ご自愛下さい。


                


        扨、6月も半月が過ぎましたが、

         一日・一日を大切に前進したいと考えます。


        <五十鈴橋と鳥居を日輪が包みます>


       本日は、私たち神職が本宗と仰ぐ

         「伊勢神宮の歴史」について、ご紹介致します。

                 

      私たち日本人・日本民族の総氏神さまである「伊勢の神宮」に
      ついて、歴史や基本的な事を理解することは、日本人として、

      大事な事と考えます。
       
                   参考にして頂ければ幸いです。

                
                 天照大御神

                  


             <第一代 神武天皇>
             


       天照大御神の孫にあたる邇邇芸命(ににぎのみこと)が、
      高天原から葦原中国(あしはらのなかつくに)に降りるとき、
      天照大御神から「清く、正しく、むつまじい世を作りなさい」
      という使命を受け、御鏡を託されます。
       

       

                  

       以来、その御鏡は邇邇芸命のお住まいにお祀りされ、
      三代を経て第一代の神武天皇に受け継がれ、以降は皇居で
      大切にお祀りされました。

       

       

              
       しかし、第十代の崇神天皇(すじんてんのう)の時代に

      疫病が大流行しました。

       崇神天皇は、皇居にお祀りしていた天照大御神を、

      より丁重にお祀りする為、笠縫邑(かさぬいのむら)に、
       お遷しすることにしました。

       

              
       第十一代の垂仁天皇(すいにん)の時代に、

      皇女の倭姫命に託して、天照大御神をお祀りするのに、

      最も神聖で、最も相応しい場所を探させます。

             
       

        特別な場所を探す旅は、困難を極めました。

       長い年月の末、倭姫命が伊勢の地を訪れると、

      天照大御神から
      「この伊勢の国は、遠い国から浪が寄せてくる国である。
         大和の傍らの国、美しく立派な国だ。

             この国にいたいと思う。」


        と云う、お告げがありました。

       「夫婦岩を昇る日の出」 

       
           
              「伊勢湾に昇る日の出」



       倭姫命は、ついに天照大御神を祀るための

          最も、尊い場所に、たどりつきました。

       そして、伊勢の地に天照大御神が御鎮座したのが

       垂仁天皇二十六年(紀元前四年)と伝えられています。


           

           <伊勢の神宮は、日の出ずる所です>

          ここから「神宮の歴史」が始まります。

      ※葦原中国〜地上の世界

      ※御鏡〜三種の神器のひとつの八咫鏡。天孫降臨の際、
          天照大御神自身として祀るようにと、神勅が下された。

      ※皇女〜天皇のむすめ。


       以上、神宮の歴史に付いて簡単に、ご紹介しましたが、
      わが民族・日本は、
            「歴史と伝統ある、素晴らしい国」です。

       神武天皇から先月御即位された今上陛下は、第126代です。


       そして何よりも「男系で、代々皇統を受け継いできた、

      世界に例のない素晴らしい民族です。」
       
       日本人としての誇りを持ち、歴史と伝統を諸外国の方々に、

      自信をもって話せる「真の日本人」になりたいものです。 

       

        扨、当社と関わりの深い天皇は、

       第12代 景行天皇です。

       

              

       

       景行天皇の皇子(日本武尊)が、東方平定の折り

      当地に陣を構えました。

        食料と病人に苦慮していた処、

       三人の老翁忽然と現れ、病人を治療し、

      そして、米を炊き日本武尊に奉り難儀を救われました。

       

           

        第12代景行天皇の皇子「日本武尊画像」

       

       日本武尊は無事、平定の後、その御恩に報いる為、

      山頂に祠を建て之を祀る。

      此れが「飯野山神社発祥」の由来であり

      三人の老翁とは、

                 御祭神 稚産霊大神(生命・医療の神)

                     保食大神(すべての食霊の神)

                     大山津見大神(皇室、先祖の神)

       因みに、炊飯の場所を以て「飯野」と言い、

        米のとぎ汁の流れる先を「飯野川」と云います。

       

         現在も、この地名は、実際に現存する。

       

             

       

      平成13年・御鎮座1900年記念事業として

      「社殿修理改築」を実施しましたが、

      神社が祀られて1900年、

      第12代 景行天皇の皇子「日本武尊」が東方平定後に、

      当地の山頂に祠を建てたと伝えられます。

       

       

          

       

        

          平成13年が、御鎮座1900年ですから、

           現在は御鎮座1918年と云う事になります。

       

       当社は、延喜式内社として延喜式に記載される、

        宮城県の最古社と言われる由縁です。

       

       是非、一度お参りの上、宮城県最古社のパワーを

            五感で感じて下さい。


                    宮司

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